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20151/14

【銀座-ブログ】ちょっと、釣り三昧。

今回の「ちょっと、そこまで。」は2つのコーナーをお届け!★ファミリーロッジ旅籠屋 甲斐 真さんの「旅籠屋 自由旅」~インターネットの進化について★フリーライター 森有貴子さんの「江戸ごよみ、東京さんぽ」~江戸のお正月事情とは?★旅の情報も盛りだくさんでお送りしました。

2015年明けてから釣り三昧!晴山由梨ちゃんのお送りする「ちょっと、そこまで。」今年の釣果は期待できそうだそうです。

 

 

ファミリーロッジ旅籠屋 甲斐 真さん の 「 旅籠屋 自由旅 」

 

今回はインターネットの進化についてお話しました。

 

 

甲斐さんは、パソコンというものが一般の会社で使われるようになった頃から使っているので、もう30年以上使用しているそう。インターネットにつながって通信ができるようになり、パソコンの使い方は劇的に変わったのを実感しているといいます。こんな事業を始めようと計画をまとめていた頃パソコン通信というものがあり、そこで色々な人の意見を聞いて議論したりしていました。当時はまだ文字だけで、そのうち、ウェブサイト、つまりホームページというものが普及し始め、ネット上にページを持ち、不特定多数の人々に見てもらえるようになりました。「ファミリーロッジ旅籠屋」は、20年前、1995年に最初の店舗がオープン。翌年にはホームページを開設しています。 なんでも、甲斐さん自身が作りあげたそうです。かなり早く、まだホームページを持ってる企業が少ない時期で、ずいぶん目立ったとか。「ファミリーロッジ旅籠屋」はアメリカのMOTELをお手本にした宿泊施設で大々的に宣伝するお金もなく、旅行代理店にお客様を集めていただかない主義だったそうで、このホームページがなかったら、やっていけなかった・・・と語ります。そして、お客様に提供するネット環境については少しずつ整備してきたそう。LANケーブルをつなげるジャックを用意していたのは、最初はラウンジだけでした。数年経ってお客様のネット利用が増えて、客室すべてに用意するようにしました。そして昨年には無線LAN、Wi-Fi環境を整備しました。

 

 

「ファミリーロッジ旅籠屋」のサイトはスマートフォン用もオープン!今年も続々オープンする新店舗をチェックしてみてくださいね。

ファミリーロッジ旅籠屋

http://www.hatagoya.co.jp/

 

フリーライター 森有貴子さん の 「江戸ごよみ、東京さんぽ」

 

今回のテーマは・・・「江戸のお正月事情とは?」

新春気分もようやくひと段落。とはいえ、年明け1回目ということで江戸のお正月事情についてお話しました。

 

■元日の早朝から年賀登城に大忙し

江戸の元旦ですが、武家の町なので、武家方は江戸城への年賀登城ではじまりました。朝、六ツ半(7時頃)に徳川御三家をはじめ譜代大名、諸役人、そして2日には外様大名や諸役人、などと続き、6日ごろまで三都の由緒ある大町人や江戸や諸国の有名社寺の僧侶などが拝賀に訪れたそうです。しかし元旦の7時頃に江戸城ということは5時、いや4時頃に起きてまだ夜のあけきらぬうちから江戸城への拝賀のための行列がはじまるわけですから大名御一行も大変ですね。また諸役人の旗本も礼服をきて登城。御目見役以上の上級旗本は、将軍にもお祝いの挨拶。とはいえ大勢で固まって平伏するだけで、祝い膳や酒などはもちろん出ませんでした。それが終わると自分より上級の役人宅をまわる年始参り。ただ相手も年始まわりに出掛けているので、挨拶をしたという事実だけを残して、また次へ向かうという、挨拶とはいえ実情ともなわないものだったようです。元旦から6日ごろまで毎朝早起きして支度を整えて、暗いうちに家を出て上役や同僚たちの宅へ新年挨拶まわりに伺い、朝9時ごろからは仕事につくということで新年ほど疲れる時はなかったと言います。

 

 

■うってかわって静かな元日の町人

元旦から慌ただしい武家とは違って町人たちの元日は、本当に静かなものでした。夜通し起きていた商家の人たちは、そのまま初詣に向って屠蘇や雑煮で正月を祝い寝正月へ。不夜城と言われた吉原さへ「元日や さてよし原は しずかなり」と絵師であり俳人である、江戸の粋人(すいじん)・酒井抱一が詠んでいます。町が賑やかになりはじめるのは日本橋の魚河岸が動き始める元日の夜中から。2日早朝の初売りにむけて高張提灯をたてて屋号を記した提灯を隙間なくたて、店先には魚を並べてそのそばには屋号を記した雪洞をそえる通りすべての店がそうなのでまるで昼間のような明るさだったとか。また問屋や仲買の主人は河岸の同業者への年始回りをこの時にしていたようで魚河岸の年始挨拶は元日の夜中に行うものでした。なんだか面白いですね。二日の朝になれば、魚河岸はいつも以上の賑わい。魚河岸では、なじみの買い手に年始の挨拶として、手拭を配ったそうで仕入れ先の多い料理屋などは懐いっぱいに手拭をいれて歩いたそうです。二日からはお店や料理屋などが開くので町は賑やかに。そしてお店では、主人や番頭などが取引先に年始まいりにでかけるもこちらは、武家方の年始挨拶とは違って家にあげてお酒を一献というのが習慣だったようで、数軒いく予定が、酔っぱらってしまい2,3軒で終わってしまうことも。「二三軒よろよろすると日が暮れる」などと詠まれています。江戸の年中行事を描いた『東都歳事記』にも二日には「市中賑わいて酔人街に多し」と書かれています。大体、七草がゆのころまではダラダラと年始参りをしていたようです。

 

■江戸時代にはすでに違いがあった、雑煮の味

そしてお正月の三が日は江戸では武家、町人問わず必ずお雑煮をいただいていました。ほかの準備ができない庶民もお雑煮だけは用意したといわれています。実は、正月に雑煮を食べることが定着したのは室町時代後期から。正月三が日の祝いの料理になったのは江戸時代も後半のことでした。江戸の年中行事を描いた『東都歳事記』にも元日の項目に「今日より3日まで、雑煮餅を食し、大茶(ふくちゃ)を飲み、屠蘇をすする」とあります。お雑煮ですが、地域ごとで特色がありますよね。江戸の百科事典『守貞謾稿』にも東西の雑煮について記されていて「大坂の雑煮は味噌仕立て、丸餅を焼き、小芋、焼豆腐、大根、乾鮑など大略此五種を味噌汁にて製す。江戸は切餅を焼き小松菜を加え鰹節を用いる醤油の煮出し也」と

あります。江戸は切り餅醤油仕立てで簡素なお雑煮、上方は丸餅で味噌仕立て具材が盛りだくさん雑煮、でした。江戸時代には、すでにお雑煮の味に違いがあったんですね。

 

さてあっと言う間に1月もなかば、普通の日々に戻ってしまいました。今年が皆様にとってよい年でありますように。   ・・・「いつもの町で江戸への旅を」

 

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